ポルトガル
マヌエル1世
- 1469年-1521年
- ポルトガル王(幸運王)
- 傍流の六男として生まれながら王位についた。(←徳川吉宗クラスの怪しさ?)
- インド航路の開設等の幸運に恵まれてた。
- 兄が前国王ジョアン2世と対立した貴族達の盟主であり、処刑された。
- 彼も危険視されていたが、他に後継者がいなかったため次の王に指名された。
- イスパニアとの縁戚関係が深いが、ややこしいので省略
- 1495年 ジョアン2世死去により即位
- 大貴族に領地の大部分を返還し、懐柔した。
- 一方で租税、法制、度量衡を統一するなど中央集権化を進めた。
- 他国の王宮には貴族が複数いるのにポルトガルだけは一人。
- 同年 キリスト騎士団長となり、主に海外にある領地を併合した。
- 1516年に教皇レオ10世により正式に認可された。
- ブラジルを発見したカブラルはキリスト騎士団に所属。
ブラガンサ公爵
- ????年-1532年
- 時代的にいうとブラガンサ公ハイメ
- マヌエル1世に領地を返してもらったので、忠誠を誓っているようだ。
- イスパニアに併合→独立後は、この家系が王位を継いだ。
- 住んでいた町はヴィラ・ヴィソーサ(緑陰の谷)
- 彼が建設した屋敷で息子のテオドジオは天正遺欧少年使節団を歓迎した。
ディアス提督
- 1450年-1500年
- バルトロメウ・ディアス(英語読みはバーソロミュー・ディアス)
- 説明するまでもなく喜望峰に達した航海者
- ”港・集落”,”測量”
- 実際に喜望峰を発見したのは帰路
- 命名時は苦難の行程から「嵐の岬」と名付けたが、ジョアン2世に改名された。
- 1500年 カブラルのブラジル発見に同行するが、帰路の事故で他界。
ドゥアルテ・ロペス・デ・ペレイラ
- 大航海時代4に登場
- ポルトガルのマラッカ総督で愛国者
- 名前はドゥアルテ・ペレイラから?
- ”西アフリカ諸語",”救助”から考えるとジョアン・フェルナンデス・ラヴラドールか?
- 今は冒険家を引退してオポルトで隠居中
- セビリアの聖母のステンドグラスは彼が入手したもの(”ステンドグラスの由来”)
- 干しリンゴが大好物。独特の風味がたまらないとのこと。(”干しリンゴの納品”)
ンジンガ・ソクワ
- コンゴ王国国王(マニコンゴ)
- 1490年にポルトガルの宣教師が訪れて、キリスト教が布教されたことからキリスト教に改宗、アルフォンソ(アフォンソ)の洗礼名を受けた。
- ”空を飛ぶ生物”の調査を依頼(この段階ではメンデスは登場していない。)
ンジンガ・ンベンバ
- ンジンガ・ソクワの息子で次代のコンゴ国王
- キリスト教の洗礼を受け、リスボンに留学中
- かなり熱心な信者で、「最もキリスト教徒らしい王」といわれた。(”宗教遺跡”)
- ポルトガルからヨーロッパ文化を学ぼうとするが、奴隷貿易に悩み、再三止めるよう要請したが受け入れられることはなかった。
- 三角貿易が生み出す巨額の利益の前には無力すぎた。
- 1.現地人がヨーロッパから火器を輸入し、奴隷狩りを行い商人に売却。
- 2.ヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病により人口が激減した新大陸へ輸出。
- 3.奴隷を働かせて得た砂糖や銀をヨーロッパで売却。火器を購入して1へ。
- 彼の統治時に最大版図を達成するが、奴隷貿易で一儲け派と伝統文化回帰派との内部抗争から衰退が始まる。
- 故郷に海賊が横行し、嘆いている。(”コンゴ王国の玄関”)
- かなり質素な暮らしぶりらしい。(”赤豆の購入”)
- 趣味は木像集め(”美術品収集")
ペドロ・アルヴァレス・カブラル
- 1467年-1520年
- ポルトガル王マヌエル1世に顧問官として仕えた教会騎士団の一員
- 1500年 バスコ・ダ・ガマの喜望峰回航ののち、マヌエル1世はその航路を確認するためカブラルに命じて、第2次インド遠征艦隊を出航させた。
- カブラルはギニア湾の無風地帯を避けるために大西洋航路を南西にとった結果、同年ブラジルを発見した。
- (”航行技術”,”地理”)
- ブラジルの語源は「ブラジル木」(パウ・ブラジル(Pau-Brasil);赤色染料の原料となる植物)の発見から。
- バイーアに漂着、その後インドへ向かい無事帰還した。
- 1494年のトルデリシャス条約によりブラジルはポルトガル領となった。
- カーボヴェルデから西へ約1800キロを境界線として、その東側で発見された土地はポルトガルの領土、西側で発見された土地はスペインの領土とする協定
バルディ頭取
- 銀行家(”街の顔役に挨拶する”)
- 元々はイタリアのフィレンツェで営業していた。
- マディラでのサトウキビ生産に目を付け、リスボンに進出したものと思われる。
- ”食料品取引”
- この頃から砂糖の消費が増え、人類は虫歯に悩まされるようになった。
インド
コリタン
- モデル不明
- モザンビークの領主
- インドへの通行許可の代金としてプレイヤーに貢ぎ物を要求した。(国別イベント)
元老マージド
- 生没不明
- アーマッド・イヴン・マージド
- 代々優れた水先案内人であり、シャイフ(元老)と呼ばれた。
- 航海術、地理に関する知識をまとめた「航海術」、「海洋学」を書いた。
- 1498年 マリンディに到着したヴァスコ・ダ・ガマにインドへの航路を指南した。
- ちなみにキャプテン翼のアラブ版は「キャプテン・マージド」
左利きのアーマッド
- 1507年-1543年
- アーマッド・イブン・イブラヒム
- オスマントルコの同盟国の軍人
- グラン(左利き)という異名を持つ。
- 銃は基本的に右利き用に作られているので、そこをあえて左利きということは相当な実力者であったと思われる。(日本刀や包丁も同様)
- 1526年 19歳という若さでエチオピア帝国に対し聖戦(ジハード)を布告し、一時期は3/4を占領した。
- 1543年 1541年に援軍として到着したポルトガル軍と戦い戦死。
- 紅海沿岸の警備はお任せ。(”アラビア航路の確保”)
- 旅の考古学者@バスラと知り合いらしい。(”王の還る地”)
マリッカル
- 生没不明
- メフメト・クンジャリ・マリッカル
- カリカット国軍の世襲的提督(クンジャリ)
- ポルトガル海軍と戦い、さんざん悩ませた。
- 趣味で絵を描く。知人に送ったものが配送ミスで…(”白き神の使い”)
大商クジャラート
- グジャラート王がモデル?
- ゴア・ディヴ周辺を領土としたグジャラート王国はインド洋・東南アジアの交易で栄えた国。
- 1509年 ポルトガルの影響を排除するために、マムルーク朝と連合しディヴ沖で海戦をしかけるが、ポルトガルが勝利し失敗した。
- マムルーク朝滅亡後はオスマントルコ帝国と連合し敵対したり、ムガール帝国に対抗するために同盟を結んだりする。
- 自宅でクジャクを飼っている。プレイヤーはヨーロッパに持ち帰ろうとするのだが…(”クジャク牧場計画”)
- 光の剣クラウ・ソナスを入手したが気味が悪くなり封印した(”クラウ・ソナス”)
市長バイレ
- モデル不明
- バイレ=フラメンコの踊り
- 歌はカンテ(カンタービレ=歌うように)
- フラメンコはロマ族から伝わったといわれ、ロマ族の起源は北インドといわれているから?
- 元々はヒンドゥー教の祭司であり教義・聖典に詳しい。(”ブラフマン祭官の聖典”)