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*海賊 [#e2fcc173]
-海賊と海軍の境界は無きに等しい時代

*イスラム [#ie6e2b8e]
**ハイレディン・バルバロッサ [#kad95155]
-1475年-1546年
-ヤークップオール・フズル・レイス
--バルバロッサ=赤髭、もしくはバルバリア(バーバリアン)の王
--レイス=提督・艦長
-オスマン帝国の海軍司令官
-エーゲ海のレスボス島の出身
-当初はアルジェ海賊の頭目として北アフリカ沿岸で暴れていた。
-1533年 艦隊と人員丸ごとオスマン帝国に帰順する。
-海軍が老朽化し兵員の錬度が低下していたオスマン帝国は歓迎し、皇帝スレイマン1世からカプダン・パシャ(海軍司令官)に任命される。
--同時にハイレディン(信仰に厚い者)の名前を賜る。
--オスマン帝国海軍の父といわれ、第一次世界大戦時の戦艦の名前になっている。
-1534年 ハフス朝の首都チュニスを攻撃し、一時占領。
-1538年 プレヴェザ海戦でジェノヴァ提督アンドレア・ドーリアが率いるキリスト教国連合艦隊を破り、地中海の覇権を確立する。
--連合艦隊が不和・不信により、戦意が低かったのも一因。
-ゲーム中での役割
-大航海時代2以降、全てのシリーズに出演。
-ポルトガル・イスパニアイベントでの敵役。
-レパント海戦のイベントで海軍司令官アリ・パシャが戦死し、後任を引き継いでいる。
--史実ではウルグ・アリが後継者(というか25年前に死去(^^;)
--行方不明になっていたバルタザールが現れ、ハイレディンを追ったのだが、司令官戦死により撤退したので、捕捉できなかった。

**メフメト・シャルーク [#d4fb70c8]
-????-1571年
-オスマン帝国アレクサンドリア総督
-ハイレディンの部下であり、ヨーロッパ人にシロッコ(南東の風)と呼ばれ恐れられた。
-1571年 レパント海戦で激戦となった右翼部隊の指揮をしたが戦死。
--(”統率”)
-&color(white){プレイヤーの情報から軍を出動、シュレッテンワルダーの盗賊団を壊滅させる。};
-&color(white){ツタンカーメン王の墓に調査隊を出すが、様々なトラブルが発生し失敗。プレイヤーに調査を依頼する。};

**シナーン・パシャ [#v0b30df1]
-????-1553年
-オスマン帝国アナトリア総督
-ユダヤ人でありハイレディンの部下。彼の死後は海軍司令官を引き継いだ。
--(”接舷”,”機雷敷設”)
-クロスボウで緯度を測る特技を持ち、魔術師と呼ばれた。
-1516年 マムルーク朝との戦いに参加した。
-1551年 ”トリポリ”を征服した。

**ドラグート・レイス [#r7da88dc]
-1485年-1565年
-ドラグート=ドラゴン
-ハイレディンの部下で、「イスラムの抜き放たれた剣」という異名を持つ大海賊
-ジャン・アンドレア・ドーリアの捕虜になり、漕手奴隷となった経験がある。
-ラ・ヴァレッテを捕虜にして漕手としてこき使った経験もある。
-1538年 プレブェザの海戦において前衛部隊を指揮。
-1550年 本拠地のジェルバ島(チュニス沖)に攻めて来たジャン・アンドレア・ドーリアの艦隊を返り討ちにする。
--現在は有名なリゾート地になっている。(「海賊船」クルーズもあるよ)
-1551年 シナーン・パシャのトリポリ攻略作戦に参加。
-1553年 シナーン・パシャの没後、トリポリ総督を引き継ぐ。
-1565年 マルタ島包囲戦の聖エルモ要塞での戦闘中、ラ・ヴァレッテの命で放たれた銃弾により致命傷を受ける。
--聖エルモ要塞陥落の報を聞き、息を引き取る。享年80歳。
--マルタ島陥落まであと一歩というところで敵の援軍が到着し、撤退した。
-レパント海戦イベントでは後衛部隊を指揮した。(史実では死去している。)

**ウルグ・アリ [#vd57046d]
-1519年-1587年
-イタリア出身の奴隷からオスマントルコ帝国の海軍司令官になった。
-あだ名はオキアーリ(イタリア語でメガネ、ウルグ・アリがなまったらしい)
-アルジェ海賊に捕まりガレー船の漕手をしていたが、イスラム教に改宗し正式な船員となり、実力が認められ艦長に出世した。(それほど珍しいことではない。)
-ヨーロッパでも有名で「ドン・キホーテ」にも登場。
--作者のセルバンテスはレパント海戦で負傷、左腕の自由を失った。
--帰路にアルジェ海賊に捕まり、士官昇格の推薦状をもらっていたため、5年間捕虜として過ごした。(払いきれない額の身代金を要求されたため)
--シェークスピアと同じ日に死去したとされ(1616年4月23日)、命日は本の記念日「サン・ジョルディの日」になっているが、実際は使っていた暦(グレゴリオ暦とユリウス暦)が違うので同じではない。
-1565年 マルタ島攻防戦に参加。
--大海賊でありトリポリ総督ドラグート・レイスの戦死により、後継者に指名される。
-1568年 アルジェ総督に就任。アルジェ海賊のトップに立つ。
-1570年 シチリア沖でマルタ騎士団のガレー船3隻を拿捕。
--ラ・ヴァレッテの後任の総長がさっさと逃亡し、非難される。
-1571年 レパント海戦で左翼部隊を指揮し、ジャン・アンドレア・ドーリアと戦った。
--マルタ騎士団の旗艦を拿捕したが、中央部隊のアリ・パシャ、右翼部隊のメフメト・シャルークが共に戦死し、撤退戦を指揮。
-イスタンブールに帰還し、海軍司令官に任命された。
--壊滅的打撃を受けた海軍の再建に尽力し、すぐに敗戦前の戦力に戻した。
-1573年 ドン・フアンに奪われていたチュニスを奪回。(→ハフス朝滅亡)
-1580年 黒海におけるペルシャとの戦闘中に陣没。
-彼の死後はアルジェ海賊をまとめられる提督は現れず、分裂・衰退したという。

*キリスト教国 [#pa95742e]
**リラダン騎士団長 [#db2c063a]
-1464年-1534年
-フィリップ・ヴィリエール・ド・リラダン
-フランス・ブルターニュ地方名家の出身
-聖ヨハネ騎士団総長
--聖ヨハネ騎士団(ロードス騎士団)はロードス島(カンディアの北東)を拠点とし、聖地エルサレムを訪れるキリスト教巡礼者を保護する一方で、イスラム教徒に対する海賊活動を行ったためオスマン帝国の海上交易にとり重大な障壁となっていた。
--今でも東地中海沿岸では、言う事を聞かない子供に対し、親が「ロードス海賊がくるぞ」と脅すという。
-1522年 オスマン帝国皇帝スレイマン1世は征服王メフメト2世がなしえなかったロードス島征服を決意した。
-同年6月 降伏を要求する書簡をロードス島に送ったが、リラダン総長はこれを拒絶する。
-同年8月 オスマン軍は総勢10万以上で攻撃を開始、これに対して騎士団は650人、島民を動員しても合計7000人程度であった。
--前年からイスパニアとフランスがイタリア戦争を始めたせいで援軍は無し(><)
-激闘の末、5カ月後に降伏するが、皇帝スレイマン1世は彼と騎士団の奮戦に敬意を表し、武装したままの退去を許可した。
-1530年 拠点を失った騎士団は放浪生活の末、カール5世によりマルタ島(シラクサの南)を貸与され、マルタ騎士団と呼ばれるようになった。
--→(”追われた騎士団”)
--賃貸料の代わりに年に鷹狩り用の鷹を1羽献上した。
--マルチーズはマルタ島原産の犬。船でネズミを捕るために飼われていた。

**ラ・ヴァレッテ [#vfd61e36]
-1494年-1568年
-ジャン・パリゾ・ド・ヴァレット
-バリゾはあだ名(意味は不明)
-フランス・ガスコーニュ出身の軍人
--(”剣術”、”突撃”、”戦術”)
--意外にも”小型生物”が好きらしい。(”野ウサギの捕獲”)
--ラテン語は苦手?(”宝物の要塞”)
-ハイレディンが率いるアルジェ海賊の捕虜となり、部下のドラグート・レイスのガレー船の漕手をやらされた経験を持つ。
--そのせいかオスマン側の捕虜は過酷に扱ったらしい。
-1523年 ロードス島攻防時に当時のリラダン総長と共に参加。
-1557年 聖ヨハネ騎士団総長に就任。
-1565年 マルタ島包囲戦の指揮を取る。このとき71歳。
-約束されたイスパニア軍の援軍がなかなか到着せず、武器弾薬が尽き陥落寸前になったが、奮戦しオスマン軍を見事に撃退する。
-1566年 新都市バレッタの建設を命じ、最初の石を自らの手で運んだ。
--現在のマルタ共和国の首都になっている。

**騎士オルシーニ [#s1204596]
-1497年-1522年
-ジャンバッティスタ・オルシーニ
-塩野七生著「ロードス島攻防記」の登場人物
--実在の人物かどうかは不明(同名の先祖はいるらしい)
--ローマの豪族出身。
---チェーザレ・ボルジアに攻められ壊滅したらしい。
--作中ではロードス島での白兵戦で戦死した。
---ゲーム中では上陸前に撃退できたので生き残れた?
-ロードス島、レパント海戦、アゾレスの幽霊船と海戦イベントに立て続けに出演。
-いつもノリノリでプレイヤーの人気も高い。
-”レパント海戦”後、実家から聖職者になれと命令され、自分にはそんな稼業には向いていないと旅に出た。
-2年後の”アゾレスの幽霊船”で再び登場

**技師マルティネンゴ [#s3fca4e6]
-????-1613
-ガブリエル・タディーノ・ディ・マルティネンゴ
-ヴェネツィア人の築城技師
-平民であったがその実力により技術大佐に任じられた。
-1522年 聖ヨハネ騎士団に招かれ、ロードス島の城塞の改良工事を担当し、ヨーロッパ最強のものにした。
-同年 オスマン軍が来襲。坑道を掘り地下から城壁を爆破する作戦に対し、逆に坑道を掘って阻止する作戦の指揮をした。
--10倍以上の戦力差がありながら、持ちこたえたのは彼の力によるところが大きい。
-建築だけではなく彫刻も詳しいようだ。("乙女の部屋の守り手","生きているような作り物”)
-サルベージャと守備衛生隊の転職クエを担当。

**初老の旅人@セビリア [#z0cae920]
-&color(white){老練のサルベージャ};
-&color(white){技師マルティネンゴは彼の話を聞くようプレイヤーに依頼するが、技術的に教えるものは無いといい、心構えについて語った。};
-&color(white){船を引き上げるということは、そこで亡くなった人の魂も解放することだと。};
-&color(white){昔、大切な人を救えなかったらしいが…(”海底に眠る魂”)};

**アンドレア・ドーリア [#je549b33]
-1466年-1560年
-黒鯱艦隊隊長バルタザールのモデル、”地中海の鮫”と呼ばれた。
-ジェノヴァ貴族ドーリア家出身。
--料理の「ドリア」の名前の元。
---パリのレストランがドーリア家のために、イタリア国旗の三色にちなんで、トマト、キュウリ、卵などの材料で作った。
-当初はジェノヴァ陸軍に入隊した。
-1502年 チェーザレ・ボルジアの傭兵になって戦う。
--経緯不明、ダ・ヴィンチも同時期に雇われている。
-1513年 陸軍での熱心な働きぶりが認められ海軍提督に抜擢される。
-1522年 政争によりジェノヴァを追われフランスへ亡命する。
-1528年 フランソワ1世が祖国を攻めたため、艦隊ごとカルロス1世(カール5世)に寝返り、フランスに勝利する。
-以後はイスパニアの傭兵提督となりアルジェ海賊と戦い、海賊としてもオスマントルコ側にとっては恐怖の象徴となった。
--ジェノヴァの影の支配者でもあった。
-1532年 ギリシャ沿岸のコロン要塞を占領。
-1535年 カール5世のチュニス遠征に参加。オスマントルコ軍を撃破。
-1538年 これまでハイレディンとの直接対決は無かったが、プレヴェザ海戦で激突。
--しかし内部の足並みが揃わず敗北。
-1539年 カール5世のアルジェ遠征に参加するが、暴風雨に遭うなどの不運もあり惨敗。
-この時はハイレディンは不在。以後も直接対決は無かった。
--負けると名声が下がるので、お互いに避けていたらしい(^^;
--このあたりが話としては面白くないので、バルタザールが作られたのね。
-1560年 80代になっても艦隊の指揮を取り続けたが、94歳で死去。

**ジャン・アンドレア・ドーリア [#d0c276d8]
-アンドリア・ドーリアの甥、区別するためにジャンを前に付けることになっている。
-伯父の艦隊の指揮を引き継いだ。
-1571年 レパント海戦で右翼部隊の指揮を取り、ウルグ・アリと戦った。
--ウルグ・アリの動きを読み、戦闘を避けて、アリ・パシャを撃破した中央部隊が到着するのを待ってから挟み撃ちにし、敗走させた。
-勝利はしたものの、消極的な戦いぶりが批判され、”伯父に比べて無能”という評価を受けた。
--本人はあまり気にせずに、その後も傭兵を続けたという。

**アゴスティーノ・バルバリーゴ [#r18a2785]
-????年-1571年
-ヴェネツィア海軍参謀長
-レパント海戦で左翼部隊を指揮し、シロッコ(メフメト・シャーク)と戦った。
-激戦になり右目を矢で射抜かれ致命傷を負うが、シロッコも戦死したため部隊の崩壊を免れた。
--勝利の報を聞き、二日後に死亡。
-塩野七生著「レパントの海戦」では主人公の一人になっている。
-”バルバリーゴの貿易船”の所有者ニコロ・バルバリーゴは1500年没なので、彼の祖父か?
-イベントではシロッコ撤退により、戦死を免れた。


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