ネタバレ情報/学者
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1 (2008-10-25 (土) 01:13:34)
2 (2008-10-25 (土) 01:16:45)
NPC学者と芸術家
裁判にかけられようが投獄されようが主張を曲げない反骨の人が多い。
宮廷にいる人はとりあえず別ページに掲載した。
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ガリレオ・ガリレイ
1564年-1642年
天文学の父と呼ばれる。
イタリアのピサ郊外に生まれ、ピサ大学に入学した。(この時は医学専攻)
→(”応急処置”)
望遠鏡を自作して木星の衛星を発見した。
→(”ガリレオ式望遠鏡”,”地理学”,”地理”)
現在は大学で医学を教えており、研究のためのパトロン募集中。(”学問のすすめ”)
街の住人の認識:「とにかくすごく偉い先生」
ある日、プレイヤーはピサに不審なものを届ける依頼を受ける。
それは大きさが同じで重量が違う二つの鉄球だった。受取人はガリレオ・ガリレイで…(”奇怪なる武器”)
ただし、このエピソードは弟子の創作であるという説もある。
1992年 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、ガリレオ裁判が誤りであったことを認め、ガリレオに謝罪した。
ガリレオの死去から実に350年後のことである。
「それでも地球は回っている」も創作らしい
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トマゾ・カンパネッラ
1568年-1639年
異端者にして革命家
南イタリアの貧しい靴屋の子として生まれる。
14歳でドミニコ会に入会し、托鉢修道士となる。
1589年 ナポリに赴き、魔術・錬金術・占星術・天文学・哲学などについて知識人たちと討論を重ねる。
1591年 「感覚哲学」を出版する。この出版はドミニコ会全体を震撼させ、宗門裁判所に召喚され、主張を捨てるよう命じられる。
完全に異端思想であり、異端審問官を輩出しているドミニコ会にとっては激ヤバ。
しかし、これを無視して活動したため投獄される。
1597年 刑期を終え、故郷に戻った彼が見たものはイスパニアの占領下、重税をかけられ苦しむ貧民であった。
これに憤った彼は南イタリアからイスパニアを排除すべく「革命運動」を始める。しかし、仲間の密告により逮捕される。
異端に反逆の罪が加わり死刑確定かと思われたが、狂人のフリをしてなんとか終身刑に減刑される。
獄中にあっても、その学識と人格から刑務所の看守の尊敬を集め、演技の必要がなくなり、自由に執筆活動ができるようになった。
吉田松陰も似たようなパターン
1626年 著作を読んだ支持者の運動が実り、釈放される。
その後も筆禍事件を引き起こし逮捕されそうになり、彼を個人的に気に入っていた教皇の勧めにより、フランスへ亡命し波乱の生涯を終えた。
その他の著書
「ガリレオの弁明」:ガリレオの地動説を支持、でもガリレオにとっては有難迷惑。
自分も異端認定されたらマズー
「太陽の都」:トマス・モア(エラスムスの友人)の「ユートピア」と並び社会主義思想の先駆けといわれる。
「銀河鉄道の夜」のカムパネルラの名前はこの人から取られたという説がある。
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ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ
1486年-1535年
ドイツの”ケルン”出身
オカルト的な事を信仰し、カバラに夢中な中世の魔術師と言われた、哲学者でもあり医師でもあり弁護士でもあり大学の教授でもある人。
"謎の人物からの挑戦状"でプレイヤーに挑戦状を叩きつけた。
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デジデリウス・エラスムス
1467年-1536年
ネーデルランド出身の司祭、人文主義者、神学者。
ルターが自分を尊敬し、自分の著作に影響されていたことを知ったエラスムスは当初、ルターとその「聖書中心主義」思想に対して好意的な態度をとっていた。
しかし、ルターの思想と活動が過激化すると、教会の分裂を望んでいなかったエラスムスはルター派と旧教派の板挟み状態になり悩むことになる。(”ルターの書簡配送”,”エラスムスの書簡配送”)
アグリッパとも親交が深かったといわれている。
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マルティン・ルター
1483年-1546年
ドイツ(当時は神聖ローマ帝国)の神学者、牧師、説教家。
宗教改革の中心人物となったことでプロテスタント教会の源流をつくった。
1517年に発表された『95ヶ条の論題』は”いわゆる免罪符”の販売問題など、カソリック教会を批判した文書であるが、ラテン語で書かれ一般庶民には読めないものであった。
しかし、すぐにドイツ語に翻訳され広まり、カソリック教会への不満をもつ民衆に火をつけることになった。
1521年、神聖ローマ帝国皇帝カール5世はドイツ分裂を恐れ、ルターをドイツ国内において法律の保護の外に置くことを通告し、異端者としてルターの著作の所持を禁止した。(”不穏なる思想家”)
その後、1年間ほどルターは地下に潜り、エラスムスのギリシア語テキストをもとにして新約聖書のドイツ語翻訳作業に専念した。
しかしルターが不在の間、過激化した民衆が教会を破壊するなどの無法状態になったため、再び姿を現し静めようとするが、もはや手遅れで1524年にドイツ農民戦争が起こった。
1534年に旧約聖書のドイツ語版を完成させた。(”旧約聖書の研究”)
”七十人訳聖書”(ギリシア語旧約聖書)にあってマソラ本(ユダヤ教徒によって編纂されたヘブライ語聖書)にないものを旧約聖書から排除した。(”ドイツ語聖書の外典を読む”)
翻訳家転職前提クエの依頼元
大量に翻訳をしているため、プレイヤーに下請けを依頼する。(”訳書の作成”)
ロンギヌスの槍を探すプレイヤーに情報を与えるが、そんなタダの物体よりも信仰心の方が大事だと説く。(”ロンギヌスの槍”)
肌荒れが気になるらしい。(”カミツレの配送”)
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アルブレヒト・デューラー
1471年-1528年
ドイツの画家、数学者
同名の父のもとで金銀細工師となる修業をするが、後に画家を志す。
1494年 ヴェネツィアへ赴き、ルネサンス美術を研究する。
1498年 木版画集「黙示録」にて成功をおさめる。
その後は、人体の比例や遠近法の研究に取り組み、銅版画も発表した。
ルターの思想に共鳴し、代表作「四人の使徒」にはルター訳による聖書の引用が書かれている。
木版画作品「犀」はリスボンでのサイの評判を現地にいた友人から伝え聞いた情報によって描かれたもので、自身はサイを目にしていない。(”人並みはずれた想像力”)
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パラケルスス
1493年-1541年
医師、錬金術師
本名テオフラストゥス・フィリップス・アウレオールス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム
鋼の錬金術師のエルリック兄弟の父親の名前はここから取られた。
ホムンクルス(人造人間)を作成したといわれている。
アグリッパの師匠にあたるトリテミウスから教えを受けていたという説もある。
パレと同様に消毒の重要性に気が付いていた。(”ヴェネツィアの医師”)
薬草をアルコールで煎じたチンキ剤にインテリ医師として最初に注目した。
職業病の研究を行い、鉱夫病=水銀中毒であることをつきとめる。
その時にドイツ農民戦争が勃発しようとしている時勢の中で農民を煽動して逮捕される。(証拠不十分で釈放)
エラスムスの友人フロベニウスを治療し、その縁でエラスムスとも友人になった。
酒好き、というかアル中
”医師の誓い”(しかし細い血管に糸を結ぶなぞ、今ではとても無理)
プレイヤーが探し出した秘薬”アゾート”を使い、賢者の石を作成。しかし錬金術の資料を全て廃棄し、今後は医師に専念すると宣言する。それが錬金術師の掟であると。(錬金術連続クエ)
親切丁寧な指導が売り。(”錬金術師見習い転職クエ”)
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アンブロワーズ・パレ
1510年-1590年
近代外科医学の祖
身分の低い理髪外科医出身で、直接創傷に触れ治療をする外科医であった。(”ぶどうが実る地の理髪師”)
当時は医者は内科医を指し、正式な学問を修めていない理髪外科医は一段劣ると考えられていた。
もっと後の時代のオーブリー&マチュリンシリーズ(映画マスターアンドコマンダー)の中でもマチュリンは内科医であるため、外科医よりも優遇されている。
1537年、パレはイタリア戦争に軍医として従軍し、新たな治療法を開発し、兵士の信頼を得て、名声を高めていった。(”神の手を持つ医師”)
教会前にいる傭兵も参加していた。
従来の治療法は煮えたぎった油を傷口に注ぐというものであったが、油を使い切ってしまったため間に合わせの軟膏を使ってみたら、そちらの方が有効であるとわかった。
”医師の誓い”でパラケルススの助言から、血管を直接糸で縛って止血する血管結紮法をあみだし、讃えられる。
後にアンリ2世などの侍医を務めた。
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アンドレアス・ヴェサリウス
1514年-1564年
現代人体解剖の創始者
父はマクシミリアン1世(カール5世の父)の侍医
彼もカール5世とその息子フェリペ2世の侍医を務めた。
しかし対立するガレノス学派により宮廷を追放され、現在はバレンシアに住んでいる。(”世界一の名医”,”星読みの名医”)
馬上槍試合で負傷したアンリ2世の治療を依頼され、パレと共に救命にあたるも槍が右目を貫く重傷であったため一週間後に死亡した。
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ノストラダムス
1503年-1566年
医師、占星術師、詩人(ノストラダムスの大予言は超有名)
本名ミシェル・ド・ノートルダム(ノストラダムスはラテン語読み)
ペストの予防法を発見し、ネズミを焼き、町を清潔にするよう指示したといわれている。(”星読みの名医”,”疾病学”)
料理研究家でもありレシピ本「化粧品とジャム論」は当時のベストセラーになった。
カトリーヌ・ド・メディチに重用され、アンリ2世の死とアンリ4世の即位を予言したといわれている。
”ノストラダムスの予言”でフランス革命とスターリンの登場を予言した。
不吉な予言をしたせいか、タロットカードはバッドカードが多い。(引かないほうがいい。)
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レオナルド・ダ・ヴィンチ
1452年-1519年
言わずと知れた万能の天才であるが、納期を守る気がない困った人。
気難しく尊大な人物であり、プレイヤーを罵倒し酷使することにためらいがないので、いつも泣かされることになる。
1502年 教皇軍総指揮官チェーザレ・ボルジア(教皇アレクサンデル6世の庶子)の軍事顧問兼技術者として働いた。
アイテム”ボルジアの秘毒”のネタ元。先祖伝来の毒薬で政敵を毒殺したと言われている。
イタリアの諸都市で活動していたが、イタリア戦争で疲弊したところに、羽振りの良い新興国フランスのフランソワ1世にスカウトされたので移住した。(”イタリア語”等)
武器職人転職クエの納入先
貴族からの依頼で新兵器開発のために大砲5箱と火炎壷5個を要求。(火炎砲の開発?)
砲術家転職クエ
弾道学の本を共同執筆するためにプレイヤーに協力を依頼。
この時ばかりは扱いが丁寧になる。
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フランソワ・ラブレー
1483年-1553年
フランス・ルネサンス文学を代表する作家
修道士(”宗教学”)となった後、医師となりエラスムス(”オランダ語”)らとも交流している。
1538年 カール5世とフランソワ1世の休戦交渉に同席する。(イタリア戦争)
どのような立場かは不明、知っている人がいたら書いてください
代表作の『ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語』は豊富な語彙と巧みな表現で散文作品の傑作と称されるが、あまりに風刺的かつお下品(スカトロあり)かつキテレツな内容から全巻禁書に指定された。
「時は金なり」の格言を残す。
ダ・ヴィンチに論文のダメ出しをくらい凹む。(”手に負えないお方”)
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ミケランジェロ・ブオナローティ
1475年-1564年
イタリアの彫刻家、画家、建築家
ダ・ヴィンチ、ラファエロとともにルネサンスの三大巨匠と呼ばれる。
フィレンツェの支配者だったロレンツォ・デ・メディチに才能を見いだされ保護を受ける。
異常なまでにダ・ヴィンチを嫌っていた。
理由は聞くまでもないような…
同じ絵に一緒に描かれるのも嫌だったらしく、ラファエロの代表作『アテナイの学堂』にアリストテレス(ミケランジェロ)とプラトン(ダ・ヴィンチ)が並んで描かれているのを知ると、激怒して自分をモデルにした人物をプラトンから遠ざけるように描き加えたという。
美術と工芸Rを上げると…
ラオコーン像の修復作業をプレイヤーに任せてくれる。(芸術家転職クエ)
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フライ・ルイス・デ・レオン
1527年-1591年
詩人、神秘主義者
ヨーロッパ最古の大学の一つであるサラマンカ大学の神学および哲学の教授でもあり、傑出したヘブライ語学者として名声を高めた。
しかし、「ラテン語の聖書よりヘブライ語の聖書の方が正しい」と学生に説き、5年間の牢獄生活を送るはめになった。
ルターも同様の主張をした。
教会にとってはラテン語の聖書を使っているのであるから、許し難い暴言である。
彼が釈放され大学に戻ったとき、「昨日も話したように…」と何もなかったように講義を始めたのは有名な話らしい。
この時の椅子や机は現在も大学に保存され、彼の名前が付けられた講義室があり、銅像も建てられている。
アーモンド油を使ってペスト予防の研究をしているらしい。(”アーモンドの配送”,”アーモンド油の配送”)
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ゲラルドゥス・メルカトール
1512年-1594年
本名ゲルハルト・クレメル
メルカトール図法でお馴染みの地理学者(”地理”,”地理学”,”測量”)
メルカトール=ラテン語で商人の意味、両親と死別して親戚に引き取られたときに改名?
1541年 直径41cmの地球儀を作成し、カール5世に献上した。
この人に呼び出されることは、世界の果てに飛ばされることを意味する。(地図職人転職クエ等)
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ジョン・ディー
1527年-1608年
ロンドン生まれの数学者、錬金術師、占星術師。
1544年 ケンブリッジ大学を卒業し、フランドル地方のルーヴァン大学に2年間留学。
この時にメルカトールと知り合う。
アグリッパの書いた本に影響を受けオカルトにのめり込む。
1580年ごろより、水晶玉観照による心霊研究と大天使ウリエルとの交感を実施。
それらが使う奇妙な言語を「エノク語」と呼んだ。→(”身体言語”)
天使の声を聞くために、いつも豆で耳栓をしている。(”話を聞かぬ男”)
エドワード・ケリー(インチキ霊媒師)と組んで、貴族たちに交霊実験と魔術を披露して評判となった。
エリザベス1世に寵愛されたが、死後即位したジェームズ1世が魔術嫌いであったため引退を余儀なくされる。
ネクロノミコン(ラヴクラフトの創作)の原典をアラビア語から英語に翻訳したとされる。
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ウィリアム・シェークスピア
1564年-1616年
ロンドンの売れっ子劇作家
何かと理由をつけては仕事をさぼろうとする。(”常習犯”)
新作を書くためにトリスタンとイゾルデの物語の調査を依頼するが…
「どうも話が暗いから没にして、別の悲恋物語(ロミオとジュリエット)を書く」といい放つ。("トリスタンの剣")
「なんなら君も登場する?ルビーに血を吸われる船乗りの役で(w」(”血色の宝石”)
ジェームズ1世は即位後にシェークスピアの劇団のスポンサーとなり、劇団名が「国王一座」に改称された。