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*ネーデルランド [#q695dbb7]
-イスパニアの圧政から独立運動へ
**バルネフェルト議長 [#e05cf71b]
-1547年-1619年
-ヨーハン・ファン・オルデンバルネフェルト
-弁護士であったが、ネーデルランドの独立運動に参加。
-ロッテルダム市議会議長→ホラント州議会議長→連邦議会議長と出世を重ねた。
--日本語のオランダは、ホラントのポルトガル語訳であるHolandaが、ポルトガル人宣教師によって戦国時代の日本にもたらされたことによる。
-1579年の北部7州によるユトレヒト同盟の結成に尽力。
--対イスパニアの軍事同盟、ネーデルランド建国の元になった。
--ファルネーゼ公爵が南部10州の帰順をさせたのに対抗。
-フランス、イングランドと同盟を結びイスパニアに対抗し、休戦条約を結ぶなど外交手腕を発揮した。
-東インド会社を成立させて貿易を振興し、州分権を主張して権力集中を防ぎ、都市貴族・大商人階層による政治支配を完成した。
-広域海賊転職クエの依頼主(”議長からの依頼”)
--&color(white){イスパニア商船の私掠を要請?};

**ピーテル・パウル・ルーベンス [#o6ad2d75]
-1577年-1640年
-バロック時代を代表する画家でイスパニアの外交官でもあった。
--当時はイスパニアの支配下にあったフランドル(フランダース)地方のアントワープ出身。
--「フランダースの犬」の原作者は英国人であり、ぶっちゃけ「孤児を見殺しにした」話なので、ご当地での知名度と評価は低かった。
-1600年 イタリアに渡り、絵の修行をする。
-1608年 アントワープに戻る。
-1609年 ネーデルランドとの休戦条約が結ばれ、イタリア帰り(古い言葉でいうと、おフランス帰り)のルーベンスには絵の注文が殺到した。
--注文をさばくため、工房方式で多くの弟子を動員して大量生産した。
--この年にイスパニアのイサベル王女(フェリペ2世の娘でネーデルランド総督)の宮廷画家になる。
--(”社交的な画家”,”王の画家にして画家の王”)
-1622年 パリに赴き、フランス皇太后のマリー・ド・メディチ(アンリ4世の妃)をモデルにした連作の制作にとりかかる。
-他にもイングランドやイスパニアにも足跡を残し、語学も堪能であったためイサベル王女の外交官としても活躍した。

**豪商ビッケル [#yf027261]
-1586年-1652年
-アンドリース・ビッケル
-主にロシアの毛皮を扱い、アムステルダム市長も歴任した。
-一族で要職を独占し、一時期は「ビッケルにあらざれば人にあらず」状態だったらしい。
-ネーデルランド独立運動の金庫番(ネーデルランドイベント)
-&color(white){アルバ公からデュランダルを贈られたが興味が無いので教会に奉納した。(”デュランダル”)};

*イングランド [#q3b42e86]
-イスパニアと対抗し、ネーデルランドを支援した。
-宮廷は昼ドラマ並にドロドロ

**エリザベス1世 [#id4f1a49]
-1533年-1603年
-イングランドとアイルランドの女王
--スコットランドはまだ併合されていない。
-当時弱小国家であったイングランドの独立を維持し、「よき女王エリザベス」と慕われた。
-1533年 ヘンリー8世と2番目の王妃アン・ブーリンの間に生まれた。
--父ヘンリー8世はアン・ブーリンとの結婚を認めないローマ教皇と断絶し、イングランド国教会を樹立した。
-1558年 母が反逆罪で処刑されたり、ロンドン塔で幽閉されるなど冷遇されたが色々あって即位。
-父の政策を踏襲して再び「国王至上法」を発令、「礼拝統一法」によってイングランド国教会を国家の主柱として位置づけた。
-旧教徒の諸侯の乱を鎮圧したり、スコットランド女王メアリー1世(旧教徒)を処刑したので、旧教徒の盟主を自認するイスパニアとの関係が悪化する。
--フランシス・ドレイクらが率いる私掠船による掠奪も理由の一つ(財政難のため)
-1588年 イスパニアの無敵艦隊の侵攻を受けるがドレイクらの活躍により大勝利。
-以後、イングランドがイスパニアに代わり勃興していくことになる。
-「処女王」と呼ばれ「私はイングランドと結婚した。」という言葉が有名であるが、実のところは…

**サー・フランシス・ドレイク [#yfea9af4]
-1543年-1596年
-別名エル・ドラコ(スペイン語でドラゴン→悪の権化)
-1568年 ヴェラクルスでイスパニア海軍の奇襲を受け、参加していた船団が壊滅。以後、復讐の鬼と化す。
-1570年 イスパニアに対する海賊活動開始。
-1577年 ゴールデン・ハインド号(”黄金の鹿”)を旗艦とする艦隊を率いて、プリマスを出港。
-1578年 大西洋からマゼラン海峡を経て、チリ・ペルー沿岸のイスパニア船を襲い、多大な財宝を奪う。
--&color(white){その対象の中ではカカフエゴ号が有名。};
--&color(white){ドレイク海峡とホーン岬を発見したが越えられず途中で引き返した。};
--&color(white){その後、太平洋を横断し喜望峰を回ってマゼランに続く史上2番目の世界周航を達成。(”第二の世界周航”)};
-1580年 生き残ったゴールデン・ハインド号のみがプリマスに帰港。
--エリザベス1世に財宝を献上。総額30万ポンドを超え、当時の国庫歳入よりも多かったという。
--この功績により海軍中将、騎士爵に叙任される。
-1581年 プリマス市長に選ばれる。しかしイスパニアとの関係悪化から再び海へ。
-1588年 アルマダ海戦において艦隊副司令官に任命される。実質的な指揮を取り、無敵艦隊を壊滅させる。
-1594年 西インド諸島襲撃を実施するが、2年後に赤痢に倒れ死去。
-&color(white){賞金稼ぎ転職クエ(”黄金の鹿”)ではプレイヤーはイスパニアの傭兵としてドレイク討伐に向かう。};
--&color(white){このためイングランドプレイヤーは海軍援軍を使用できない。};

**レスター伯 [#a910b298]
-1533年-1588年
-ロバート・ダドリー
-エリザベス1世の古い友人であり寵臣であり愛人。
-即位後すぐに主馬頭という重要なポストを与えられる。
-1559年 ガーター勲士に叙せられる。
-独身であった女王の結婚相手の候補とまで言われたが、既に17歳の時にノーフォークの地主の娘エイミー・ロブサートと結婚していた。
-1560年 エイミーが自宅にて謎の死を遂げる。
--調査の結果、事故死と判定されたが、女王と結婚するためにエイミーを殺したという噂は消えるどころか広まるばかり。
--1563年にロバートをレスター伯に叙爵した事も噂を後押し。(”レスター伯謎の噂話”)
--女王が妻殺しの嫌疑をかけられた男と結婚できるはずもなく、二人は愛人関係のままに終わる。
--婦人三人組はこの噂話をしていて、青年画家は事件の風刺画を描き一儲けしている。
-1578年 サセックス伯の母と再婚。
-1585年 ネーデルランド遠征に参加、ネーデルランドの総督の地位を得る。
--この頃、寵はエセックス伯の方に移っていた。
-しかし、ネーデルランドのバルネフェルト議長と対立し、帰国を余儀なくされる。
-1588年 陸軍総司令官に任命されるが、同年に胃ガンで死亡。

**サセックス伯 [#m92a7293]
-1566年-1601年
-ロバート・デヴルー
-難易度が高い生物調査を依頼してくる。彼に呼び出されたら一流の冒険者といえる。
-レスター伯の義理の息子(母がレスター伯と再婚)
-エリザベス1世とは親子ほどの年齢差があったが寵愛された。
-1586年 ネーデルランドでイスパニアを相手に奮戦し名声を得る。
-1589年 イスパニアに遠征するが失敗。
-1591年 ナバラ王アンリ(アンリ4世)の支援をするが失敗。
-1596年 イスパニアのカディスに侵攻。今度は見事陥落させる。
-1597年 アゾレス諸島でイスパニアの財宝を積んだ艦隊を拿捕しようとするが失敗。
--度重なる失敗にもかかわらず、女王の贔屓により元帥に昇進。
-1599年 アイルランドの反乱の鎮圧に向かうが大敗し、任務放棄して帰国。
--さすがに許されず、地位を剥奪され自宅軟禁処分になる。
-1601年 反乱を起こすが、またもや失敗。以下省略。

**大商ダケット [#t169788b]
-紡績商(”街の顔役に挨拶する”)
--”織物取引"
-エドワード・ラザファード著の「ロンドン」の登場人物より?
--一族は代々、前髪に一筋の白髪があって、手に水掻きがあるという特徴を持つ。
---インスマウス人?←クトゥルーつながり(ジョン・ディー)
--ケルト系漁師が先祖で、現在は商人を家業としている。


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